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湊谷周平 「ヨーテボリ美術館及びカジノ探検記」

 

2003.10.

 


 

ヨーテボリ美術館

 

 僕が住むヨーテボリはスウェーデンで2番目に大きな都市である。しかし大きいと言っても、その人口は50万人と札幌の人口の3分の1にも満たず、港街として発展したこの街は、坂の多さから函館というよりはさながら小樽を思わせる。古い建物が建ち並び、札幌のような騒々しさがないためとても心が落ち着くのだが、その一方で娯楽が少なく、暇をつぶすことに苦労する。

 

そこで何かないかと旅のバイブルである『地球の歩き方〜北欧編』を参照することにした。するとヨーテボリ美術館なるものがあるという。場所を調べると、通学路を通っていた際、いつも気になっていた街で一番大きな建物が美術館だということ。

 

突然の休講で予定が空いた、今日さっそく行ってみることにした。

 

入り口にはいると、受付のお姉さんは何故か警備員のような格好をしていた。未だ拙い英語を駆使して、「入場したいのですが」と伝えると、「何歳ですか?」という質問。前もって『地球の歩き方〜北欧編』で調べていた価格は40クローネ(1クローネ15円)だったので、「21才です」と答えて慌てて持っていた国際学生証を提示した。このカードを提示すると、学生という身分からたまに割り引いてもらえるのである。しかし期待もむなしく40クローネ・・・。渋々コインロッカーに荷物を預けて、館内を散策することにする。

 

 『地球の歩き方〜北欧編』の解説によると、このヨーテボリ美術館では「アンデース・ソーンやカール・ラーソンなどスウェーデンを代表する画家をはじめ、レンブラント、ゴッホ、モネ、ピカソなどの絵画も展示された、スウェーデン第2の規模を誇る美術館。現代美術の作品も数多く展示されている。また、ヨーテボリに本社のあるカメラメーカー、ハッセルブラッド社のギャラリーも併設されており、こちらでは常時写真展が開かれている。」

 

そこで、まず初めに一階に設置されている、写真展コーナーに向かうと人だかりを見つけた。好奇心をそそられ、その人だかりの方に行くと、そこでは何やら小さな映写会をやっているのである。こっそりと奥の方の椅子に座って、スクリーンを見るとなんとそっくりな二人が画面に出ているのである。いやそっくりというのも当然であり、この映写会は何組もの一卵性の双子をテーマにしたもの。それゆえ「いやー10年経っても、弟の妻に間違われるよ」とか「兄貴の結婚相手も双子で、俺ももうその妹と結婚した」などのコメントには笑ってしまった。

 

 その後、双子をテーマとしたパネルがたくさんある場所へ足を向ける。双子の子供が囚人の格好をさせられ、檻の中に入っている写真、双子のバレリーナの写真など様々なものがあった。さらに同じスペースにはブラックな写真がたくさんあり、ただの夫婦の写真は夫が妻に銃口を向けていたり、楽しそうにしている人たちの写真は悪魔教の格好をしていたりするものであった。頭に「If your is not in the USA, get your out now!」(漢字は絵柄)というバンダナをしている少年の写真や、劣悪な環境の写真にいる黒人の写真からは、前者は幼い子の国粋主義、後者は貧困というメッセージは読みとれたが、他はシュールすぎてわからなかった。

 

 さらに奥に進むと、別のアーティストによるテレビジョンを使ったアートがあった。いくつかの種類があったのだが、その中で一際目についたのは、アフガンのそれを思わせるような黒ずくめの格好をした女性が、テレビの中で様々な単発のアクションをし、その後コメントが出るというものである。記憶している限りでは、拳銃でお手玉をした後に「and like goes on」というコメント、道路に寝そべり、検察が死体のあった場所にチョークで印を付けるように自分で印を付け、「Home is where you can relax」というコメントなど。この他にもガスマスクをしながら料理をしたり、掃除道具をしまうところに隠れてしまったりするこの女性の仕草はなかなか滑稽で、暫し見入ってしまった。

 

 階段で上の階に向かう際、現代アートが展示されていたのでそこをふらっと立ち寄ったのだが、レントゲンの写真で胃袋のあたりに卵が写っているものや、壁にひも(つな?)が掛かっているものなど首をかしげるようなものが多かった。気がつくのは先の写真展でもそうだが、多くの人が作品を見てメモをとっていたり写生をしていることである。日本に比べこの国では芸術への関心が高いことは、美術館にとどまらず公園などでもよく写生している人の姿を見かけたり、町中を歩いていると多くの芸術作品に出会うことができたりすることから強く感じられる。もっとも日本が遅れているだけなのかもしれないが・・・。

 

 そんなことを考えながら、階段を上がり、彫像の展示場にやってきた。もちろん(?)彫像とくればメインは“女性美”であり、当然期待がふくらむ。それゆえここでは、立体的な美にしばし心奪われ、時間を忘れてしまった。ただゼミ仲間の宮部氏が「抑圧された性的欲求が高度な芸術を生み出す」と語っていたことを思い出すと、作者は自分が魅了された美を解放の手段として彫像で表現し、それが一般の人までも魅了するのかと考えてしまった。もしそうであれば、僕は作者の性的欲求に共感したことになる。“性のパロディ化”を推し進める宮部氏の発言が深いことを同時に思い知ったのである。

 

 迷宮のようなこの美術館の残りは絵画で占められていた。最初に入った部屋は「○○5世」という名前が付いていそうな肖像画の部屋であった。いつも肖像画を見るたびに「よく我慢してポーズをとり続けていられるな・・・。」などとくだらないことを思いつつ、次の部屋へ行くと、天使や聖母といった宗教的な絵画が飾ってあった。ありがたいことに、メインの絵の大きな絵の前には椅子が置いてあったので、それに座って一休みしながら鑑賞。貧しい人々に牧師が説教をしていて、天使が上から見ているという絵だったのだが、ちょうど日が窓から差し込んできて、色が映えてきれいだった。ここでもまた絵を模写している人がいたのだが、今回は通り過ぎる際ちらりと横目で絵を確認。まさに「うまい!」の一言に尽きたのだが、「自分にもこれだけ描けたらなぁ」との思いと同時に、美術の成績が2だった中学校の頃のコンプレックスが蘇ってきた。当時はその成績に反して、きれいな絵や不思議な造形物が好きで、夏休みの自由課題はいくつかの札幌の美術館をめぐって評論をしたものである。ただし生まれつきの不器用さは、自分の考えを表現することを拒み、それゆえ学校の評価は自然と悪いものになった。自分の才能のなさに落胆し、また授業で触れることもなかったため、高校からは一切美術館には行かなくなった。それゆえ現在の僕の美術に関する知識は当時のままであるのだが、“モネ”の絵を見に行って感動した記憶がある。そう、このヨーテボリ美術館にもモネが飾ってあり、それを見つけることが今回のメインであったのだ。もちろん作品や作者の名前は全てスウェーデン語であるため、たくさんある絵のうちから、勘を頼りに探さなくてはならなかったのだが、すぐに見つかった。当時見たままの、蓮の葉が池に浮かび、鮮やかな色がキャンパスから浮かび上がるまさにモネ特有の絵は、とても懐かしく感じられた。異国の中にいて日本を感じることができるのは、モネの作品が日本を意識していること以上に、自分の過去が思い出されたからかもしれない。

 

 胸一杯になりながら、今回の美術館巡りは終了。スウェーデン語の解説がわからなかったため、直感的な鑑賞になってしまったが、それはそれで面白い探検になった。スウェーデン語がうまくなったらまた来ようと心に決め、早速近くの本屋でスウェーデン語のドラゴンボールを買うのであった。

 

 

 

カジノ体験記

 

 ある日学校に向かっていると、僕以外の留学生では唯一の男性である中谷君とばったりあった。彼の進路からすると、授業が終わって学校を出てきた様子だったので「これからどこへ行くの?」と尋ねると、「カジノ!」とさわやかな笑顔で答えてきた。どうやら新たな遊び場を見つけたらしい。「いやあ、パチンコに行くおじさん達の気持ちがわかりますよ。」と言ったので、「あまりはまりすぎないようにね。」と釘をさしておいた。

 

僕は日本にいたときは、一度もパチンコや競馬をしたことがなく、麻雀もお金を賭けてやったことはほとんど無かった。それというのもギャンブルは絶対負けるものであると思っていたし、自分の運のなさはよく知っていたからである。(今回の留学も運のなさで、トラブル続きであった・・・。)

 

翌日同じ授業をとっている中谷氏の彼女と話していると、昨日彼は勝ったという話題になった。しかもよくよく聞くと、行くたびに必ず勝っており、しかも1回につき1000クローネ(1クローネ=14円)勝つという。「そんなにギャンブルに強いのか!?」と思い、中谷氏に直接尋ねると、「実はルーレットで勝つ法則を見つけた」と言う。ちょうどゼミ仲間である吉田氏の『マレーシア滞在記』の中で、似たような“うまい話”があったので「それはウソだろう」と思ったのだが、常勝の彼の勇姿は魅力的で、すぐに僕の中でそれは“本当の話”へと変わった。そこで次に彼がカジノに行く際同行させてもらうことにした。

 

2日後に彼からメールを受け、勝負は金曜日とのこと。この時の金曜日はちょうど橋本ゼミが森林公園で開かれた時。それ故、前日の木曜日は興奮のあまり「9・7・3・4がラッキーナンバー・・・」という夢を見たくらいである。(日本にいたときは橋本先生の夢をよく見たものだが・・・。)

 

当日待ち合わせの場である学校入り口で待機していると、彼が2人の友達と一緒に降りてきた。どうやら同じクラスで同じプロジェクトをしていた仲間らしく、プレゼンテーションが終わった彼らと一緒に飲んだ後にカジノに行くという。

 

まだスウェーデンのバーに行ったことがなかったので、景気づけとして一緒に飲むことを決意。バーは学校から歩いて15分くらいの大通りにあるのだが、マケドニア人の友達が案内してくれた。彼は非常に冗談好きで、「名前はジェームス・ボンドっていうんだよ」と自己紹介をし、中谷君が関西流の鋭い突っ込みを入れていた。(本当の名前は“シューゴ”。)

 

しかし最初に訪れたバーの年齢制限は23歳以上らしく、みな証明書を持っていないと答えると、門前払いされてしまった。そう、スウェーデンは酒の規制が厳しいのである。スウェーデンに来た当初、スーパーなどで見かけるビールのアルコールは全て3.5%だったため、「強いアルコールのビールは売れないのかな?」と思ってしまったが、これ以上のアルコールは専門の店でしか買えず、さらに身分証明書を提示しなくてはならないのである。

 

追い返された男4人は斜め向かいのバーに行くことにした。こちらは年齢制限が21歳以上なので、見た目だけでパスできた。イギリススタイルのこのレストランは本当にパブリック・バーといった感じで、カウンター側の壁一面はいろいろな種類のボトルがずらりと並んでおり、ぼんやりと光っているロウソクが、テーブルの木目を美しく照らし出していた。

 

さてビールをカウンターに注文すると、なんと一杯49クローネ!何かちょっとしたつまみでもついてくるのかと思ったのだが、日本でいえば中ジョッキサイズのグラスにビールが注がれただけだった。しかしスウェーデンに上陸して初めてのビールだったため、やたらとおいしく感じて、値段を気にせず一気に飲み干してしまった。するとマケドニア人のシューゴが「そろそろ上に行こうか」という。わけもわからずついて行くと、なんと2階がビュッフェ(バイキング)スタイルのレストランになっており、一階で飲み物を注文すると、二階ではただで食べられるという。ただし食事の際はコートやバックなどの荷物を預けなくてはならず、それに10クローネかかった。結局ビール→食事という順序はかなり酔いを早めてしまって、ふらふらになりながらカジノへ向かわなければならなかった。

 

簡単な飲み会が終わって、いざカジノへ行こうというときに、シューゴが「車で来ているからカジノまで送ってやる」と言ってくれた。カジノまではそう遠くないのだが、ここはお言葉に甘えてのせてもらうことにした。しかし車に乗り込むと、いきなりものすごいスピードで発進し、後部座席に座った僕らに陽気に話しかけてくるのだ。つい先ほどまで一緒に飲んでいるため、彼の運転は“飲酒運転”以外の何ものでもなかった。友達もほろ酔いなのか、二人とも恋愛話で盛り上がっているのだが、その一方で僕は「カジノで金をかける前に、まさか自分の命を賭けることになるとは・・・」と気が気でならなかった。

 

なんとか無事に着いたカジノは外からではそれとはわからないほど、質素な外装をしており、一見するとホテルのようでもあった。中に入って、手荷物を預け、ゲートでパスポートを提示。入場料の30クローネを支払い、僕は初回ということでデジタル写真をとった。やっとの事で中にはいると、そこは赤や青、黄色といった派手なネオンが輝き、ジャラジャラという音が響き渡っていた。圧倒される僕に中谷君は、「今日はいくらぐらい持ってきたの?」と聞いてきた。負けてもいい額ということで300クローネを用意してきたのだが、それを言うと「それじゃあ勝てないな」との答え。彼と同じ質問をすると、ちょっとまじめな顔になり「“18400クローネ”だよ」と言うではないか!どうやらスロットが1クローネから賭けられるのに対し、ルーレットは20クローネからではないと賭けられないという。また彼の常勝のセオリーを実行するためには膨大な資本が必要と言うこと。ゆっくり遊びたかったので、僕は彼とは別れスロットで遊ぶ。しかしこれの飲みこまれることの早いこと早いこと。いくら1回1クローネだとしても、5秒に1回転なら1分で12クローネ、用意した額では30分も持たない。それゆえすぐに予算が尽き、夢で見た「9・7・3・4」は一切実現されることはなかった。

 

ほぼ無一文になった僕は、することがなくなったのでカジノ観察をすることにした。カジノではスロット・ルーレット・カードがメインであり、それぞれレートが高いものから低いものまで用意されていた。スロットでは1クローネ、5クローネ、10クローネといった具合で、ルーレットは最高のものになると1ベット100クローネからという台もあった。もちろんその他のものもあるのだが、驚いたことは日本のデパートの遊技場で見かける、セガ製の“競馬ゲーム”があったことである。暇を持て余していた中学生の頃は、よく友達と一緒にこのメダルゲームで遊んだものだが、遠い異国の地で再び出会うとは・・・。(因みに“セガジョージ”という馬がいつも一発屋的な役割をしていた。)

 

暫くぶらついた後に彼のところへ様子を見に行った。するとなんと既に800クローネ勝っていたのである。もちろん彼の常勝のセオリーによるものであるが、実はこのセオリーは確立を使ったもので仕組みは非常に簡単である。

 

 

<中谷流カジノ必勝法>

 

@     ルーレットの“High or Row”、“Even or Odd”、“Black or Red”といった「当たれば2倍、外れれば掛け金没収」となる1/2のゾーンに賭ける。

A     ただし例えば“6回黒が続いた後”に初めて赤に賭けるのである。

B     精密なルーレットであれば、一定期間(例えば1日)のうちに6回連続で黒が出る確立は1/64と低い。

C     そのため、赤に賭けて、負けてもさらに赤に賭ける。

D     賭け方は最初に100クローネ賭け、負ければ200クローネ、さらに負ければ400クローネと(100)^n回賭け続ける。するとn回目に勝てば(n−1)回目までの負けが回収でき1回の勝利で+100クローネを手にできるのである。

 

なかなか理にかなっているのだが、数理系の友達に後日メールで確認したところ、これの落とし穴を教えてもらった。

 

<理学部数学科の反論>

@     黒が10回連続でくる確率は1/1024であるため、確かにくる確率はとても低いが、それでも計算上1024回に1回はくることになるため、逆に2千回も3千回もやってもこないと機械が疑わしいことになる。

A     因みにこのようなルーレットは独立試行であるため、6回黒がきたあと赤がくる確率は1/2。

B     ヨーロッパ式では0、アメリカ式では0と00といったカジノの儲けになるゾーンが存在する。

C     この理論が使えるのは身長が180センチ以上という人の確率の後に、この中で体重が80キロ以上の人の確率を考えるといった場合。

 

結局この日、中谷君は2000クローネを稼ぎ出したのである。後半に彼が6回続いている台を探すのを手伝い、複数の台を掛け持ちするのを手伝ったのでお小遣いに1チップ(100クローネ)をもらった。思いがけないお小遣いだったので、最後の運試しとして、彼の理論を実践し、これで負けたら二度と来ないと決意した。

 

トータルの負けは100クローネ。リベンジを誓った日でした・・・。